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2019-12

国とはなんだろう?

日航機が御巣鷹山に墜落して22年になる。
この遺品を日航が展示していくことに決まったようだ。
それまでは、処分する方向だったが、遺族の反対に
押されたようだ。そのような記事をところ
どころでこれまで見て来た。

さて、一体国はどういう対応をしているのだろうか。

この事件、単に一民間企業と市民の問題ではないはずだ。
このような全国で共有しなければならないことは、
国を上げてやらなければならないと私は思う。

二度と同じ過ちを繰り返さないよう、国が遺品を管理
し展示するように動くべきなのだ。
そういう国であるべきだ。

戦争にしても公害にしても、国の行動は私の感覚と
一線を画する。
広島、長崎の件を何故、広島市や長崎市に委ねるのか
理解に苦しむ。あの原爆ドームが維持できるのは
広島市や市民によるものであって、国ではないのだ。
おかしい。

国は常に弱者にどう配慮するかだと思う。
そういう見地に立った人が議員になるべきだ。
しかし、どうだろうか。
有権者の票をとるためのことばかりだ。
有権者も悪いが。自分が自分がだから。
不当なことを強いられている弱者を如何になくすか、
自然環境を如何に維持するか、
不合理な利益の集中を如何になくすか、
以上が政治を仕事にしている人間の務めであると私は思う。

テーマ:政治 - ジャンル:政治・経済

毎年この時期に思う

昭和20年、原爆が投下され、終戦を迎えた。

あれだけの惨事を経験しながら、いまだ兵器を
持ち、戦争の可能性を残している日本。
自衛だろうが、兵器によりお互いに殺傷する
以上「戦争」以外の何ものでもない。

兵器を持たずに他国と対話でお互いの平和に
進んでいけないのか。

人間はなんて愚かなのだろうか。

子供の頃時々考えた。宇宙から敵でもくれば
皆一致団結するのだろう、と。
今、この敵は「自然環境」かもしれない。


教育の改革

日本の教育は改革しないとならない。

今更言うまでもないが、これだけ英語に時間を割いていても英語を使えない。
そして、そのことをわかっていながら、いつまでたっても同じ方法で教育
している。

そもそも。
国の関係機関に携わる人間の発想では、改革が難しい。

もう、偏差値主義はやめようではないか。
あるところで、相対評価なんてやめたら、といったら「それでは子供の
競争意欲がなくなる」っていう意見をもらってしまった。

競争するならもっと人と違うことをやるところで競争するべきだと
私は思う。

どうして全国金太郎飴にしなければならないのだろうか。

世界で数学力が低いとか時々騒がれたりする。
そんなのほっとけ、と思う。
この数学力が落ちると、数学がとてもできる人がいなくなるのか?
そうなら少し考えてもいいのだろうが。

義務教育は小学校6年までにする。
成人になるためには、成人試験を必ず受けること。
受けることが義務。点数は自己採点でいい。
少なくとも自分の責任のもと、試験を受けたことで
何が自分に足りないかが把握できるはずだ。

日本の大問題が隠れる。皇室継承問題

大げさなタイトルかもしれない。
しかし、長い目で見るとけしてそうではないと思う。

きこ様ご懐妊になり、皇室継承問題を先送りにしては、という意見があるという。
皇太子夫妻に男子が見込めないことから皇室継承を男女平等にするという方向にあったが、この度のご懐妊で男子の見込みが出てきたため、男女平等にすることを先送りに
するという意見である。

一体何のためにこれまで議論をしてきたのか。

日本の「いきあたりばったり」がここに如実にあらわれている。

このような日本体質で憲法改正ができるのか?
憲法改正については自衛隊のアフガニスタン派遣問題が絡んでいる。

時代の流れを読んでいくことも必要だろうが、
何よりも大切なことは、この日本をどういう国にし、世界の中で
どう貢献していくのか。
という国民が誇りに思える国とすること、するための理念、方針
を国民皆がわかる形で示していくことが憲法改正ではないのか。

戦争に負け、ともかく復興に向けて皆がんばってきた。
それは平和を願う気持ちが進めてきたと思う。

そして、外観的には豊かになったのだろう。その外観が「誇り」
のように思えた。しかし、本当は「誇り」は外観なんかでは
なかったのだ。
それに気がつき、平和のために何をすべきか。

もう、「いきあたりばったり」はやめよう。


テーマ:今日の出来事 - ジャンル:ブログ

今更だが疑問に思う試験問題

受験かなにかの試験問題を思い出した。
「我が輩はねこである」
この出だしの作者は誰?
正解は夏目漱石であるが。。。。

よく考えてみるとこれで一体何を図ろうというのだ。
こんな問題ばかり出すものだから、要領のいい学生は、著名人の書いた代表作の冒頭を暗記し、それ以降は読まないという。

極論をいえば、誰もが知っていることを知っている人が選抜され、誰も知らないことを知っている人は落とされる仕組みだ。

TV番組で「ーー塾」とかいうのがある。
参加者の知識を試すものだ。
私も見て、「うーんわからん」とか「あの人は優秀だ」と笑いながら思っていた。
しかし、ここには大きな社会の問題が隠されているようでならない。
こうした大人も子供も見る番組が見知らぬ間に、知識偏重の偏った社会を形成しているのではないかと。本来その人が持っている最も大切な能力が種のままで芽が出ない。つまり水がない社会が。

電車の中の風景

今朝、通勤電車に乗った。
最近は携帯を見る人の年齢層の幅が広がった。

さて、とても気になることがある。
それは女性の化粧である。
コンパクトを片手に実にいろんなことをしている。この間は吹き出物に軟膏を塗っていた。時折携帯に目をやっている人もいる。
化粧品の入ったカバンは開けっぴろげで中が丸見え。化粧といっしょにジュースを飲んだりパンにかぶりついたりの人もいる。混んでいるのに2人用の席に1人ででんとすわる。さすがに察したのか微妙にスペースは空けた。しかし、微妙であり、多少勇気のある人でないと座れない。

他人に迷惑をかけているわけではないということなのだろう。

しかし、おかしい。これらの現象は携帯が普及しだしてから発生し、そこには何かしらの因果関係があると思われる。
彼女らにとって隣の生身の人よりも携帯電話の向こうの人のほうが常に大切なのだ。彼女は携帯電話とともにどこにでも彼女の個室をつくるのである。周囲は人ではなく、物体である。

僕らにも全く身に覚えのない話でもないだろう。会話の途中で携帯に電話やメールがあり、そこに神経が一瞬移る。その時いっしょにいる人は多かれ少なかれ(非常に微細でも)一種の寂しさを感じるだろう。大きな一瞬であったりする。

目の前の人と向き合えないで人なのかよー。人は人であり、人だろう。犬も猫も道端ですれ違えばお互いに何かを感じ合っているではないか。目の前に困っている人がいるじゃないか。何もできなくても声をかけられなくても、せめて感じることはできるだろう。
大げさと思うが、涙が出る。

単なる彼女らの流行であり、すたれれば終わるものであれば、いい。しかし、そうでないのであれば、事は深刻であろう。彼女らの子供はいったいどう育てられるのであろうか。自己中心というのは自己の周りにまだ人が存在するが、これからは自己ネットワークオンリー型で、自己の形成するネットワークにいない人には全く関心のない人になってしまうのではないか。ご都合ネットワーク。そのネットワークがどのようなものかは、まだあまり私にはわからないが。

冬の訪れで渡り鳥が群れをなし空を飛ぶのをみて、その美しさに感動する。生きていくための群れ。ネットワーク。

ITの発達で様々なネットワークが形成されるが、自然の摂理をないがしろにしたものが多くを占めるようになった時、生きていくためのネットワークが崩れていくのではないか。

言いたい人に言いたいことを

某番組予告で。
ホテル再建の1シーン。
「言いたい人に言いたいことを言うこと」
これが印象に残った。

会議で言わなければならないことを言わない。
周囲の雰囲気やオピニオンリーダーに遠慮して。
など。

ピラミッド型企業にありがちなシーンであるが、
現代のフラット型企業でもありがちではないだろうか。
フラットだからできるはずが、フラットなゆえに
「誰にも言わない」とか「関係ない人にいう」など
がないだろうか。

勝手放題というのではない。
企業でもNPOでも行政でも何でも問題解決やサービス向上には
必要なキーワードではないだろうか。

物のない時代は心が豊だった

この言葉をある会話の中である人から聞いた。

単なる懐古ではないと思った。

「ない」からチャレンジする心。

もちろん、物があるから心が豊かにならないということではないだろう。
心の持ちようである。
ただ、物が沢山あって見えるものが見えなくなり、
見なくてはならないものを見る力が失せてきた。
いや、失せてきたのではなく、それだけ新たな力が要求される時代になったのかもしれない。
科学の進歩が人間の進歩よりも進んでしまったのだろう。

あせることはない。原点を見つめ直すことだ。

何故何故

物事、何故何故と追求していくことは、とかく煩がられる、疎まれる。
しかし、そこに真実がありそこに面白さがある。

フィギアスケートで浅田選手が年齢制限からオリンピックに出場できないようだ。
そういうルールがあるからだ。
浅田選手はかなりの実力をもち、出場すれば優勝も十分に狙える。だから、「出ないの」
「出さないの」という声になる。
ここで新聞、TVの記事に疑問を感じた。何故こよのうなルールが決められたのかそれについての記載が私の目耳には入ってこない。
それよりも、浅田選手出場の声を盛り上げるような風潮ばかりが目につく。

ルールの決め方(課程、内容)が妥当かどうかということを知ることが重要だ。
それによってはルール改訂の必要があるかもしれない。逆に、浅田選手が出れないのは実に適切なことであるかもしれない。

建築物構造計算書偽造問題は氷山の一角

建築物構造計算書偽造問題でA氏が悪いとか言われている。
A氏の上にはB氏がいてそのうえにC氏がいる。C氏のうえにはもっとあくどいD氏がいるかもしれないがしっぽを掴まれないようにしているかもしれない。

人命に関わることは何も建築だけではない。今年のJR脱線事故も同等だろう。医療に関してもいろいろあるのではないか。航空関係は。

人命に直接関係しないことでも沢山あるのではないか。
顧客の利益を無視して提供者の利益をむざぼる構造が。

「氷山の一角」というところの「氷山」とは日本社会全部のことを指す。
他人ごととしてTVの前でA氏のことを非難する権利があるかどうか今一度
自問自答すべきだろう。

住居:日本の基本仕様?

建築物構造計算書偽造問題ででてくるユーザーのコメント。
「この先、29年のローンが残っている」

これに類する言葉は他でもよく聞く。

私たちはこれに慣れてしまっているのではないか。しかし、人生は一体何のためにあるのだと考えてしまう。個々の人生のみならず、社会全体のこととして。

次のようなシンプルな構造がある。
ローンをかかえる。ー> 働くことの目的の比重が「返済」に偏る
ー> 会社を辞めれない ー> リスクはおかさない ー> チャレンジはしない
ー> 個人の持つ本来の能力が出ない ー> 社会が発展しない

以上単純にしすぎるところもあるかもしれない。

ただ、ローンを抱えて持ち家(一戸建て、マンション)を持つということの意味を
もっともっと考えなおさないとならない時代ではないだろうか。

資源に乏しい日本で建っては壊されまた建っていく。一見活発な経済活動のようであるが、失っていることは途方もなく大きいのではないか。

日本の基本仕様を見直す必要がある。


信頼

昨今、フリーターの問題がある。
フリーターに問題があるという論調があるが、それには疑問を感じる。
優秀な人材もフリーターにならざるおえない雇用情勢にあるからだ。
フリーターといっても沢山の種類があるわけで、それを一緒にするのはおかしい。

さて、そんなフリーターの中でも特に人とのコミュニケーションに問題が
あるとされる人に対して、いろいろ学べ、というようなことが言われている。
時間を守らない、礼儀を知らない、文章を書けない、だらしないetc。
しかし、これら個々をいくら言っても「なんでー」となるのではないだろうか。

たまたまフリーターのことで思ったのだが、日頃の仕事の中でいかに信頼関係を
築くかが基本であると思う。仕事に限らず全ての人間関係において。
ところがこの信頼関係、いろんなところでズタズタになって来ていると感じる。

この信頼関係ってどういうことでどのように築けるのか維持できるのか。
それはおのおの考えるしかないだろう。
例えば、心のない表面上の行いは、やがてほころびを見せるだろう。

信頼してもらいたいし、信頼したい。そのために自分が何をどうするのか。
おのずと答えは出てくるはずである。





民にできることは民への意味

郵政民営化や地方の指定管理者制度など、民にできることは民にという政策が進められている。

さて、この民にできることは民にとはどういうことなのか。
考えてしまう。何故考えてしまうのかというと。
移管すればいいんだな、という投げやりな風潮を大いに感じてしまうからである。そこに、移管することでどういうメリット、デメリットがあるの考えた痕跡がみえないからである。国が言えば国に従う風潮だ。

最も大切なことは官が変わることにある。いや、皆が変わっていかないとならない。
変わらない官を放棄し(変わることを放棄)、民に任せるというのでは、結局何も変わらないのではと想像する。民も官も同じ人間。所詮同じ穴のむじなではないか。
基本的に民はユーザとの対話で良いことをどんどん実行する。
ユーザーとの対話の構図がない状態。要するにユーザーでなく官(悪い官のことで良い官のことではない)を向いた構図では民といえども大したことにはならないだろう。NPOといえども実際に悪い官に向いているならば同じこと。

良い官とは良い官になろうと<本当に>頑張っているところのこと。そういう心がかよっているところのこと。

官から民になったが、結局看板のかけ替えでしかなかった、
ということにならないようにするためには、結局国民(官も民もない)皆が変革していかないとならないということだ。

今の日本は疑問の解明から

9月11日の選挙に向けて選挙公約(マニュフェスト)で各党様々な公約を掲げている。

しかし、今市民にとって国民にとって大切なことは、市民国民が単純に政治に対して疑問に思うことの解明に他ならない。その解明こそが、信頼ある政治に繋がる。

例えて言えば国が抱える膨大な借金。大変だ大変だとは言われるが、国民にとってどの程度大変で何をしなければならないのかが示されていない。国民もほとんどがわかっていないだろう。

政党政治の疑問

選挙の度に各党がPRのための戦略を練る。

最近では選挙公約をわざわざ「マニュフェスト」と呼び、それを示す手法である。
良い意味で有権者にとってわかりやすくするものであればいいだろう。

さて、与党自民党が掲げる政策に対し、野党は反対に回る。
ここに疑問がある。

郵政民営化に関して自民党は賛成、民主党は反対をする。しかし、民主党も基本的に民営化には賛成なのであろう。ただ、民営化のプロセス等方法論が違うだけでないのか。

選挙の争点が郵政民営化と自民党は言っている。
しかし、今の各政党間では上辺だけの争いをするだけになっている。各政党の基本理念等から来る争いになっていない。

要するに政党政治の意味が薄く、デメリットのほうが多いのではと私は感じている。
各政党の個性は何なのか?

2005年9月11日の選挙

この衆議院議院選挙、良くも悪くも国民の関心は高いようだ。
どういう意味で関心が高いのかは定かではない。

一点だけいえることがある。
それは国民を馬鹿扱いしているということである。

刺客だとか、それに女性を登用するとか、新党結成だとか。
これらもろもろは行き当たりばったりの作戦である。

「こうすりゃあ、大衆はもりあがるだろう」
という大衆を烏合の集団と考える論理が見え隠れしてならない。

昨夕、街中の食堂で大学生3人が選挙のTVを見ながら話をしていた。
「何をしたいのかねー」

政治はくだらん、という関心は高くなっていくが、真面目な関心は益々低く
なっていくのではないだろうか。

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