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議員としての「個」を持て
民主党が政権をとった。
新聞では
「新人議員の教育。マスコミ対応など」
「小泉チルドレンのてつを踏むな」
という旨のことが書かれていた。
しかし、ここにはどうも相変わらずの
感がある。政治に関する議員の行動
方針とでもいおうか。
国民はよりよい社会になるために
議員・政党を選択したのだ。
議員は信念をもって行動すべきだ。
その信念がもし国民の望みと違うもので
あればそれは仕方がない。
しかし、信念に基づいて行動してくれ
なければ、一体国民はその議員に
何を託したことになるのだろうか。
私は政治の世界に
「経験者」「未経験者」による格差は
あってはならないと思っている。
「未経験者」と言われる方はある部分
で「経験者」なのだから。または、
「経験してほしい」と思われる方なのだ
から。そうして国民が選んだのだ。
政治の経験者が
勝手に格差をつくり、それが様々な腐敗を
増長していくのだ。
それは議員だけではない。
「マスコミ」もだ。
そして。
政党で政策議論を交わすのは良いが、
「ありき」でやらない仕組みをつくって
ほしい。
A政党議員でも、B政党と議論の結果
B政党の案に賛同することもあり、
とするのだ。
それが
「議論」だ。
それを認める政党や政治になって
ほしい。
最初から「ありき」の中で
よくも議場で起きていられる
ものだ。私ならそうだ。
いずれにせよ、年齢がいくつだとうろ、
議員は選んでもらった責任と誇りに
かけて、信念を貫いて行動してほしい。
「?」と思いながら政党や悪い意味での
「経験者」に従っていては私たちが
投票した意味はないのだ。
「信念」を貫けば、議員を辞めなくては
ならないことになるかもしれない。
しかし、そんなことに臆するな!
正しい信念ならば、国民はそれをいつの日か
必ず指示するはずだ。
今回の件で相変わらずくだらない報道を
しているマスコミについては別途述べてみたい。
こんなマスコミを見捨てるか、それとも
色されるか。国民の肝心なところだ。
新聞では
「新人議員の教育。マスコミ対応など」
「小泉チルドレンのてつを踏むな」
という旨のことが書かれていた。
しかし、ここにはどうも相変わらずの
感がある。政治に関する議員の行動
方針とでもいおうか。
国民はよりよい社会になるために
議員・政党を選択したのだ。
議員は信念をもって行動すべきだ。
その信念がもし国民の望みと違うもので
あればそれは仕方がない。
しかし、信念に基づいて行動してくれ
なければ、一体国民はその議員に
何を託したことになるのだろうか。
私は政治の世界に
「経験者」「未経験者」による格差は
あってはならないと思っている。
「未経験者」と言われる方はある部分
で「経験者」なのだから。または、
「経験してほしい」と思われる方なのだ
から。そうして国民が選んだのだ。
政治の経験者が
勝手に格差をつくり、それが様々な腐敗を
増長していくのだ。
それは議員だけではない。
「マスコミ」もだ。
そして。
政党で政策議論を交わすのは良いが、
「ありき」でやらない仕組みをつくって
ほしい。
A政党議員でも、B政党と議論の結果
B政党の案に賛同することもあり、
とするのだ。
それが
「議論」だ。
それを認める政党や政治になって
ほしい。
最初から「ありき」の中で
よくも議場で起きていられる
ものだ。私ならそうだ。
いずれにせよ、年齢がいくつだとうろ、
議員は選んでもらった責任と誇りに
かけて、信念を貫いて行動してほしい。
「?」と思いながら政党や悪い意味での
「経験者」に従っていては私たちが
投票した意味はないのだ。
「信念」を貫けば、議員を辞めなくては
ならないことになるかもしれない。
しかし、そんなことに臆するな!
正しい信念ならば、国民はそれをいつの日か
必ず指示するはずだ。
今回の件で相変わらずくだらない報道を
しているマスコミについては別途述べてみたい。
こんなマスコミを見捨てるか、それとも
色されるか。国民の肝心なところだ。
自民党と組織
衆議院選挙で政権の座を降りた自民党。
ネットやマスコミで見聞きする限り、真に反省している
と思われる人のコメントを聞かない。
今回の結果が起きたのは「年金問題」だ。私はそう思う。
高齢化社会の日本においてあまりにもひどい話だからだ。
しかし、ここに言及するところがない。
ともかく組織は大きくなっていくに従い
各種のほころびや問題を帯びてくるものだ。
そうしたことを乗り越えていく力はなんだろうか?
それはまさに共通の心だろう。言い換えれば組織の
使命感だ。
自民党にはこのへんが無かったのだろう。いや、かつて
はあったが時代の流れで新たなものを見いだせなかった
のだ。
皆、昔の栄華を振り返り、その成功手法を繰り返すのである。
地位にしがみつく老人達、政治家達。
若返りとかいろいろあるが、真に反省するならば
出直しも十分可能だろう。たとえ老人たちでも。
それが人間の価値あるところだ。
ネットやマスコミで見聞きする限り、真に反省している
と思われる人のコメントを聞かない。
今回の結果が起きたのは「年金問題」だ。私はそう思う。
高齢化社会の日本においてあまりにもひどい話だからだ。
しかし、ここに言及するところがない。
ともかく組織は大きくなっていくに従い
各種のほころびや問題を帯びてくるものだ。
そうしたことを乗り越えていく力はなんだろうか?
それはまさに共通の心だろう。言い換えれば組織の
使命感だ。
自民党にはこのへんが無かったのだろう。いや、かつて
はあったが時代の流れで新たなものを見いだせなかった
のだ。
皆、昔の栄華を振り返り、その成功手法を繰り返すのである。
地位にしがみつく老人達、政治家達。
若返りとかいろいろあるが、真に反省するならば
出直しも十分可能だろう。たとえ老人たちでも。
それが人間の価値あるところだ。
違うほうから見る
今日、いつも通る駅前の一度も歩かなかった
道に寄り道した。
そこから駅前を見た。
その印象はいつもと全く違ったものだった。
最近、妻の帰りが遅く、家事(掃除、炊事)
を頻繁にやるようになった。
妻は主婦ではないが、主婦の気持ちが少し
わかったような気がする。
孤独であり、大変である。
聞くのとやるのとでは大違いだ。
自分の気持ちが。
何でも経験できればいいが、
そういかないこともある。
そんな時は誰しも想像するわけであるが、
そういう想像の時は前からだけでなく
他の方向からも想像すべきだ。
そんなことを駅の広場で思った。
道に寄り道した。
そこから駅前を見た。
その印象はいつもと全く違ったものだった。
最近、妻の帰りが遅く、家事(掃除、炊事)
を頻繁にやるようになった。
妻は主婦ではないが、主婦の気持ちが少し
わかったような気がする。
孤独であり、大変である。
聞くのとやるのとでは大違いだ。
自分の気持ちが。
何でも経験できればいいが、
そういかないこともある。
そんな時は誰しも想像するわけであるが、
そういう想像の時は前からだけでなく
他の方向からも想像すべきだ。
そんなことを駅の広場で思った。
余暇
皆が笑顔で暮らせる社会。
誰もが願うことだろう。
これからの日本。この願いに向かって邁進していきたい。
ひとつのテーマに
「平等」がある。
日本における最小限度の「平等」を築き上げることだ。
そのために最優先しなければならないことは
弱者の救済に他ならないと思う。
それが政治の一番の使命であると思う。
誰もが学び、仕事をし、衣食住余(余は余暇)に
困らないようにすることだ。
ごくあたりまえのことなのである。
しかし、余暇に関して真剣に考えられてきただろうか?
例えば家族。
毎日、皆でいっしょに食事をすることは大切なことだが、
そんなことができているだろうか。
大きな屋敷に住むものもいれば、住むところがない人も
いる。
政治は後者のためにあるのであり前者のためにあるのでは
ない。
大きな屋敷に住み続けたい人は政治に頼らず頑張るか、
住み続けることを止めればよい。
「余暇」という表現が適当でないならば別の言葉でも
よい。
日本の社会に大きく欠けているのは「余暇」だと
私は思う。
人として必要なことは、人同士支え合えることである。
それは「○○支援」組織が豊富にあれば良いということではない。
「余暇」を通じて人同士が交わりコミュニケーションし力を
出し合うことが大切なのである。
戦後、企業優先の社会だったのではないか?
そこを何度も何度も繰り返し反省することだ。
豊かになったのは企業のおかげか?
違うだろ!
企業でなく「人」なのだ。
「人」に必要なことは何だ?
そこを今改めて見てほしい。
誰もが願うことだろう。
これからの日本。この願いに向かって邁進していきたい。
ひとつのテーマに
「平等」がある。
日本における最小限度の「平等」を築き上げることだ。
そのために最優先しなければならないことは
弱者の救済に他ならないと思う。
それが政治の一番の使命であると思う。
誰もが学び、仕事をし、衣食住余(余は余暇)に
困らないようにすることだ。
ごくあたりまえのことなのである。
しかし、余暇に関して真剣に考えられてきただろうか?
例えば家族。
毎日、皆でいっしょに食事をすることは大切なことだが、
そんなことができているだろうか。
大きな屋敷に住むものもいれば、住むところがない人も
いる。
政治は後者のためにあるのであり前者のためにあるのでは
ない。
大きな屋敷に住み続けたい人は政治に頼らず頑張るか、
住み続けることを止めればよい。
「余暇」という表現が適当でないならば別の言葉でも
よい。
日本の社会に大きく欠けているのは「余暇」だと
私は思う。
人として必要なことは、人同士支え合えることである。
それは「○○支援」組織が豊富にあれば良いということではない。
「余暇」を通じて人同士が交わりコミュニケーションし力を
出し合うことが大切なのである。
戦後、企業優先の社会だったのではないか?
そこを何度も何度も繰り返し反省することだ。
豊かになったのは企業のおかげか?
違うだろ!
企業でなく「人」なのだ。
「人」に必要なことは何だ?
そこを今改めて見てほしい。
先進国???
地球温暖化、核不拡散、経済問題等々について
世界で議論されている。
サミットとか国連とかそういう場で。
先進国主導で。
地球温暖化で所謂先進国でない新興国から
「温暖化になったのは先進国の責任であるから、
もっと削減を大きくすべきだ」
との意見があり、先進国と折り合いが付かない。
新興国の意見は最もであろう。
世界・地球はどこかで成り立っているわけではない。
それぞれが機能してやってきた。
先進国の繁栄は先進国以外のうえになりたってきた。
世界・地球の各国・各人が平等でなければならない。
その理想に向かわなければならない。理想とは
単なる理想ではなく、向かわなければ理想にならない。
ところがどうだろうか。
先進国は自分たちを勝手に先進国と名乗り、
さも世界で共有したしような場を取り仕切る。
国連でさえ常任理事国などという見るところから
見れば全く納得のいかない組織なのだと思う。
今、世界・地球に共通する問題に取り組む時、
より多くの国の参加と議論が必要ではないのか。
食べることもできない人がいれば、
何百万ドルもお金をかけて無くても生きて行ける
ものを買う人がいる。
これはやはりどう考えてもおかしいのである。
先進国。自国で二酸化炭素を排出していなくても、
他国の排出に関わっていないのか?そのへんはきちっと
考えられているのだろうか?
これからは役割分担と平等へ向かう社会なんだ。
どこかの国が何かに秀でてイニシアチブを取ろう
としている間は温暖化問題は解決に向かわない
だろう。
世界で議論されている。
サミットとか国連とかそういう場で。
先進国主導で。
地球温暖化で所謂先進国でない新興国から
「温暖化になったのは先進国の責任であるから、
もっと削減を大きくすべきだ」
との意見があり、先進国と折り合いが付かない。
新興国の意見は最もであろう。
世界・地球はどこかで成り立っているわけではない。
それぞれが機能してやってきた。
先進国の繁栄は先進国以外のうえになりたってきた。
世界・地球の各国・各人が平等でなければならない。
その理想に向かわなければならない。理想とは
単なる理想ではなく、向かわなければ理想にならない。
ところがどうだろうか。
先進国は自分たちを勝手に先進国と名乗り、
さも世界で共有したしような場を取り仕切る。
国連でさえ常任理事国などという見るところから
見れば全く納得のいかない組織なのだと思う。
今、世界・地球に共通する問題に取り組む時、
より多くの国の参加と議論が必要ではないのか。
食べることもできない人がいれば、
何百万ドルもお金をかけて無くても生きて行ける
ものを買う人がいる。
これはやはりどう考えてもおかしいのである。
先進国。自国で二酸化炭素を排出していなくても、
他国の排出に関わっていないのか?そのへんはきちっと
考えられているのだろうか?
これからは役割分担と平等へ向かう社会なんだ。
どこかの国が何かに秀でてイニシアチブを取ろう
としている間は温暖化問題は解決に向かわない
だろう。


