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2024-03

50年前

父と母、弟と4人で神奈川から東名高速で大阪に向かった。
家に祖母と3歳になる弟を残して。

車は中古の2代目トヨタコロナ。
箱根あたりで雨だっただろうか。あとは覚えていない。

アメリカ館は3-4時間は並んだのではないか。夜、月の石を見た。月着陸船などもかすかに記憶がある。ここまで来たら見なければならない。そういう感覚だったと思う。
あと記憶にあるのは緑館。変わった形の建物を帰って夏休みの宿題の絵にしたから覚えている。内容は天井一杯に写った動画だった思う。

その他、パンフレットとにらめっこしながら、入場できるところをみつけて入った。人気のところはアメリカ館以外どこも入れなかった。日本館、三菱未来館、他。
灼熱の太陽のもと、冷たく甘いミルク入り緑茶は美味しかった。迷子にならないよう気をつけた。それほど猛烈な混雑ぶりだったのだ。

最終日、父がソ連館に行きたいと、ごねた。あの建物は壮観だった。他3人は完全にあきらめていた。陽が西にあるその時、母が笑いながら「お父さん、一人で行くみたい」って言ってたシーンを思い出す。結局、行かなかった。

ビジネスホテルの二人分のベッドで、4人ごろ寝だった。生まれて初めて足が痛くて寝れなかった。歩きすぎたのだ。

皆で弟にTシャツを買った。万博を象徴する建物がいくつかデザインされていた。太陽の塔はもちろんあったと思う。この塔はやはりインパクトがあった。帰ってきた後だと思うが、テレビで岡本太郎氏の太陽の塔製作過程のドキュメンタリーを見たことを覚えている。つくったものを、あの埴輪のような鋭い眼差しでぶち壊しているシーンが印象的だった。

ともかく、夏休みの宿題は万博が題材になった。絵を何枚か描いたが、作文を書いたかどうか覚えてはいない。当時、私が何をどう思っていたのか、それを書き記していたなら、今、見てみたかった。

1970年。戦後25年しか経過していない。沖縄はまだ返還されていない。当時のTVドラマを最近見ると改めて驚く。戦争で身内を失った話が普通に出てくる。コメディアンのTVコントでは「戦地に行ってまいります」っていう兵士をコントのネタにしている。戦争に対する人それぞれの様々な思いが渦巻いていた時代だったと思う。
祖母は戦時中いもばかり食べていたと言っていた。父は、東京に向かうB29を空に眺めていたという。母は福井に弟と疎開していた話をする。なぜか、彼ら本人が何をしていたという話は聞いたが、戦争の背景や理論等、根本的な事については聞かされた記憶がない。皆、子どもの私にどのように話をしていいのか、わからなかったのだろうか。話していたが、私の頭をすり抜けていたのだろうか。

この年、ある日曜日、父に車で靖国神社に連れていってもらった。
衝撃だった。息子から母への血で染まった手紙。玉を貫通した玉。何がどうのという説明のつかない衝撃であった。帰りのカーラジオから聞こえる歌がなぜか忘れられない。石田あゆみの「あなたならどうする」。あくる日学校でも一日中この曲が頭を流れていた。
三島由紀夫が自殺した年であり、翌年1月は葉山御用邸が全焼した。そんなことを覚えている。

当時の万博や時代を振り返った。戦争で多くの人と物を失った。それでも何とか日本という国という共同体は無くならなかった。もし無くなっても仕方ないくらいの戦争だったと思う。生きていくために、焼け野原から復興するために日本国民は一丸となったのだろう。本当にそうだったかは私にはわからないが。私の生まれたのは万博のちょうど10年前。当時の私には街に戦争の痕跡は感じなかった。
欧米のような暮らしを目指し、戦争の後を塗りたくっていった時代だったと想像する。基本的には欧米の物真似である。それも良い。そこから新たに日本の国土に合うように考え抜いていけばいいのだから。もちろん物真似だけではなかった。日本独自の考え方も加味していった。

ただ、どこか不均衡な非健全な過程で今日まで進んできたと思う。自ら考え抜く自治力が抜けているのだ。江戸時代にはあったと思われる、そうしたものが、武力をかざしてきた欧米との交流で変質し弱体してしまったと思う。その結果が福島第一原発の事故であり、ITにおける後進国化だ。このへんは私の感覚だ。

3年後、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに大阪万博が開催される。現在の準備段階は、このテーマに対して既に開催状態であると思う。私はこのテーマをこの万博がどのように捉え何を世界と共有していくのか、興味がある。 特に「人間と戦争と、いのち」についてどう捉えていくのか。 

どうなるかわからない。閑古鳥がなくのか。まあ、メディアのごり押しで帳尻を合わせるのか。しかし、人は何かのエネルギーで動くわけであり、そのエネルギーはどこからいつどのように出てくるかわからない。もしかすると、50年前よりも意義のある、万博になるかもしれない。

父は一昨年他界した。遺品を少し整理していたら、万博の資料がいろいろ出てきた。ホテルや高速道路のレシートまでとってあった。それらを見た時、ソ連館を眺める夕方のあの父を思い出した。

エネルギーと記憶。
そんなことを今、思う。
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