新国立競技場問題とまちづくり(自治)プロセスの問題
まちづくりに関する課題やテーマがあると、中央政府は「有識者会議」を開く。地方公共団体もこの方法を周到しているところが多いだろう。
責任を持たず、まちづくりに関してどこまで深い見識があるのかよくわからない「有識者」。
市民間の議論が進み、その結果で必要により「有識者」が登場するプロセスにない。
市民のニーズ、市民のノウハウがまちづくりに反映されることが優先されたプロセスになっていると思えない。
新国立競技場はオリンピックのためにつくるのか? これは違うだろうし、違わなければならない。数千億円は今から少なくとも半世紀、その地域とその地域を訪れる人々のためにある。ところが、そのデザインやその審査を誰がやっている? 二週間のオリンピックのことしか頭にないのではないか?
話が変わるが。
集団的自衛権に関わる法制化に関して「国民の理解がたりない」と中央の政治家や首相は言っている。しかし、これは違う。足りないのは「国民の議論」なのである。
「国民の議論」。これがもし弱体化の方向に進むならば、戦争が繰り返されることは否定できない。
責任を持たず、まちづくりに関してどこまで深い見識があるのかよくわからない「有識者」。
市民間の議論が進み、その結果で必要により「有識者」が登場するプロセスにない。
市民のニーズ、市民のノウハウがまちづくりに反映されることが優先されたプロセスになっていると思えない。
新国立競技場はオリンピックのためにつくるのか? これは違うだろうし、違わなければならない。数千億円は今から少なくとも半世紀、その地域とその地域を訪れる人々のためにある。ところが、そのデザインやその審査を誰がやっている? 二週間のオリンピックのことしか頭にないのではないか?
話が変わるが。
集団的自衛権に関わる法制化に関して「国民の理解がたりない」と中央の政治家や首相は言っている。しかし、これは違う。足りないのは「国民の議論」なのである。
「国民の議論」。これがもし弱体化の方向に進むならば、戦争が繰り返されることは否定できない。
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