2015-03

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市民派?

選挙が近くなると候補者に関する記事が新聞等に出る。
例えばある都市の市長選挙。
「○○候補は市民派だ」と記事にうたわれている。無所属であり、その候補を推薦する政党として自称市民派の政党がある。

しかし、よくよく考えてみると何かおかしい。市民自分達の首長を選択するのに市民派もへったくれもないだろう。市民派とはどういう派のことなのか。

このように聞けばいろいろと説明してくれる人はいるだろうし、そういう人の姿が具体的に思い浮かぶ。しかし、思い浮かんだそういう人達に本当に市民感覚があるのかどうかは、はなはだ疑問である。

「市民」「市民感覚」とは個人の権利を重んじ、そのための「公共」を自らが自覚し整理することに努める者のことだと私は思う。「公共」の整理は市民同士の協力のもとになりたっている。このような協力の環境を整備することが「市民派」には最も重要な責務であると私は考える。

「市民派です」と自称しながらいざ権力を握ると「俺たちが正しい」とばかりに何の反省もせずに進む政党や議員。「市民」「市民派」という言葉に惑わされないよう選挙では注意が必要なのである。

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今、日本に必要なこと

 民がまちづくり(地域でも国でもどちらでもいい)に主体的に参画する気持ちになれること。そういう環境づくりが日本にとって一番必要だと思う。

 何故今更こんなことを言うのか。中央政府やその周辺にいる人達はこのへんのことをわかっていないように感じるからである。自分たちが国民のために何かお膳立てをすれば国民が元気になるというような勘違い、何かお膳立てをしなければいけないという勘違いが多いと思う。

 中央政府がやること。それは民がまちづくりのお膳立てをする方向に持っていくべきなのである。もちろんそういう気持ちが自発的に民に起こるようにすることが前提であることは言うまでもない。

 町内会で役員達が「役員の担い手がいない」と嘆く。しかし、嘆いている割には担い手になる可能性のある芽を見ていない。町内会のあり方を反省したり改善したりする発想に乏しく、担い手の無さを「若者の無関心」と決め込んでいる節がある。

 この町内会の例は地域づくり国づくりの場にもあてはまると思う。「日本を元気に」という言葉がこの数年メディアに頻繁に出てくる。この「元気」とは自然環境に例えれば雪解けで地面から木の枝から出てくる「芽」の様子ではないだろうか。

 どうしたら「芽」が沢山出てくるのか。





 

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