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2014-08

代理出産

国内では賛成の人、反対の人、半々程度だろうか。

私は医者に問いたい。赤ちゃんが体内にいる時の母の子どもへの影響について。
その影響があるのならどのようなことであるのか。

代理出産で生まれた人の実際の思いはどうなのだろうか。
私自身がそうだったら、私を生んでくれた方に会いたいし、その方を母として愛したいと思うかもしれない。
いずれにせよ相当複雑な気持ちになるだろう。

テレビで「子どもができなかったら生きていけない」という女性のコメントがあったが、そういう人に限って生きていけると感じてしまった。

代理出産を許可している国否定している国いろいろあるようだ。
しかし、生物としての一線を超えてしまっている事態であることは確かだ。
「そんなこと言ったら臓器移植とかなんだとかとっくに一線超えているじゃないか」
それはそうだ。

人間はどこでどのように生物としての進化から逸脱することに歯止めをかければいいのだろうか。
私にはわからない。
ただ、何かで間違えれば人類は滅亡するのかもしれないと思う。世の中は人間のためにあるわけでもなんでもないと思うから。

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固定概念

「定年退職した夫みたい」とある人がある件で言った。

日本の女性がこういうことを発しているのによく遭遇する。直接的にも何かの雑誌等でも。

「定年退職した妻みたい」とは日本ではならないだろう。

「定年退職した夫みたい」
こういうことばが女性から発せられるうちは日本に男女平等参画社会などなしえないだろう。自分を不平等だと言っている女性自身が男性の状況を肯定し、そのうえでその男性を否定しているからだ。
「定年」というものを肯定し、そこに生きる男性の生き様を否定しているという意味だ。


本来「定年」は自分で決めるものである。自由とはそういうことである。

世界でも定年のあるところ、ないところ様々だ。だから、日本は日本で考えれば良いことなのであるが、「定年」ありきではいつまでたっても社会は良い方向に進んでいかないかもしれない。

もちろん理想と現実はある。しかし、理想を追求しないところに進歩する現実などない。

オーストラリア、イギリス、アメリカには定年はないようだ。アメリカでは履歴書に年齢に関する記載をするところがないそうだ。自由を確保するということはそういうことなのだ。日本はアメリカではない。が、何をどう決めるにせよ、その土台は日本のアイデンティティとして明確にされるべきであろう。でなければ、国として弱体かするだけである。

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