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2012-05

電力経済ボケ社会からエコ経済健康社会へ

日本ほどエアコンが普及している国はないでしょう。そのへんの世界との比較資料がなかなか出てこないので、よいものがあればご紹介ください。

暑くて湿度が高く、そういう条件下でもせっせと仕事をする日本。どうもこれは世界的に見ても稀のようです。他国は暑くてもカラッとしているか、暑いときは仕事をしないかのようなのです。このへんも「日本と似たようなところある」というお話あれば伺ってみたいです。

日本人は猛暑の自然環境を克服しながら仕事にせいを出し、戦後の日本を築いてきたのでしょう。そしてそれはどうやらエアコン電力のおかげによるところが大きいようです。

私は日本のエアコン普及を肌で感じてきた一人だと思います(私はクーラーと言っていたので、クーラーと以降言います)。1960年-1979年神奈川県に住んでいました。40年前、クーラーはまだまだ高値の花だったと記憶しています。電車には結構普及していたと思いますが、バスや自家用車では皆無だったと思います。一般家庭においてはあるほうが珍しかったと思います。それから10年、つまり1970年代になるわけですが、どんどこクーラーが普及してきたわけです。以前なら「あそこのあそこは涼しい」とか言って駆け込んでいましたが、80年頃にはどこもかしこもクーラーになっていた感じです。

調べたわけではありませんが、恐らく、クーラーの普及率とマンションや高層ビル、駅周辺の多層化(地下)は一致していると思います。40年前は高層ビルなんて霞ヶ関ビルくらいしかありませんでしたから。

以下のようなことだと勝手ながら思います。
高層ビルは経済成長の証のようなものだった。どんどこ建てた。つぎからつぎと人が集まった。海もどんどこ埋めた。コンクリート、アスファルトはがんがん熱を吸収した。発散もするが高層ビルで風が流れず発散できなかった。よってクーラーをがんがん効かせる。が、クーラー自身も熱を同時に外に出す。電車も高速で増線増便で、居住はばんばん都心から離れる。この電車でも電気をがんがん使うのだ。ところで、他国は見た目は似ていても、高層ビル群の都市は実は気候は夏であっても夜は寒いくらいになるのであった。そこに気付かず繁栄繁栄と熱にうなされて出来上がったものは、世界の中で最も自然を無視し最も自ら過酷な環境をつくり最もクーラーを使って冷やすという超エネルギー消費都市だったのだった。最近でも相変わらずコンクリートは建てるけれども屋上に木をはやし、夜景や湾岸の見えるところで野菜を取れるので「エコ」というようである。なんでもかんでも電気電気で電気があればなんでもなんとかなるとやってきた。

都会に人を一極集中させた。仕事や企業のために住みたいところに住めない。家族でいっしょにいれればいいが、家族ばらばらになってどーするのか、おとうさーん。我が家が危険に遭遇したら、誰が家族を助けるというのだろーか。親戚もあっちこっちにいっちゃって、子育てに悩む女性が増え「子育て支援」策が登場する。しかし、本質的にはこういう支援が無くなる方向にあるべきであり、無くても家族が地域が支えれる家庭環境を取り戻すべきなのだと思う。同様なことには「介護」もあろう。
長い目で見ると、電力経済社会は幸せよりも不幸への道を生産していたのかもしれないと考える。

「地方分権」とか「地域の自立」がさけばれてどのくらい経過するだろうか。本当はこれらに進むことが今重要で、日本日本とやるのは違うと思います。「地方分権」「地域の自立」は議員が地元の票を取るためのものだったのでしょうか。

別に特別変わったことをしようというのではありません。各地域でのびのび家族がいっしょに過ごせ、のびのび子育てができる環境をつくること、それらのために今人口が集中してしまっているところをそうしなくなるようにしましょう、ということなのです。

日本は電力を使って人を東京に集中させ世界の中でやってきました。電力を使うだけ使って、集中によるストレスを緩和させてきたのだと思います。緩和だけならいいのですが、バーチャル(仮想)な世界で取り繕ってきたところもかなり大きいのではないでしょうか。演奏のゲームは楽しいけれど、いっしょにスタジオで演奏するほうがめちゃめちゃ楽しい。コンピュータ相手も楽しいけれど、人が相手なのはもっと楽しいのです。いやっ、だんだんコンピュータのほうがいい、という人が増えてきているのかもしれません。そこのところはどうなんでしょうか。

原発事故は私たちに重要なことを示してくれているのだと改めて思います。
今までのような比例関係で電力に依存しながら一局集中を続けながら歪みを取り繕う施策(カバー)をつぎからつぎへと繰り出してやっていくのか。それとも電力に頼らない(使わない、ということではないですよ)でもなんでもないようにやっていける、子どもがすくすく育ち大人がはりきって仕事をし老人が好きなように余生を過ごせるような地域社会の集合としてやっていくのか。

「再稼働なしは集団自殺」とは、あまりに貧弱であまりに将来への想像をかいた発言だと思い、今回の日記となりました。ここで仙谷氏の言う集団とは、まず原発利権ありき、の人々のことを的確に指しているのだと思います。本人に意識はないと思いますが。

最後に。
同じ人参でも専用の皮むき機を使うより、包丁を使う方が脳が活性し、ぼけ防止に役立つそうです。電力の使い方もこれと同じだと思うわけです。人間は「食べる」「コミュニケーションする」「何かする」でとても幸せだと思うのです。これらに電力をどう活かしていくのか。使わないことも使うことも活かすうちに入ると思います。問題は「電力ありき、電力依存」だと思うのです。これではきっとボケるのだと思います。



以上は新聞「「再稼働なしは集団自殺」仙谷大臣の発言記事を読んで。
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