2010-12

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調和は不調和の集まりからできる

 「調和は不調和の集まりからできる」という話をある映画のお茶のシーンで聞き、心に残った。また、同様なことを別のシーンで聞いた。RCサクセションのボーカリスト忌野清志郎さんを慕う人が彼を「素直は曲がっている」と評した。

 調和のとれたものやとても多くの人に受け入れられたものなど、それらは最初からそうではなかったということである。最初は誰も見向きもしなかった。最初は誰も考えなかった。最初は誰も仲良くなかった。最初は誰も受け入れることができなかった。

 考えてみれば特別なことではない。ある仲間の中にある日1人が入ってきた。その1人によって仲間の関係は如何様にも変化していくだろう。

 私たちは日頃ほとんどの場合、既にあるものの中に新たな何かを受けると拒否反応を示すのではないだろうか。人によっては「拒否」は該当しないかもしれないが、そういう人は希少であろう。

 「拒否」は自然な事だと思うが、そこから受け入れるにせよ受け入れないにせよ変化していくこともまた自然であり大切なことだと思う。
 この変化の有様は様々であると思う。だからどうあらねばならない、というものはないだろう。ただ、問題なのは「変化」という言葉が辞書にない場合である。そういう仕組みや規則や社会はやがて駄目になるだろう。それも否定はしないが。

 何かの決めごとを作ればそこには必ずその範疇に入らない人やものが出てくるのである。それを単なる「違和」としてはならない。99%が否定しても1%の人がその「違和」を見守り続ける状態が望ましいと思う。

 私は何が言いたいのだろう?自分にあらためて問う。
 昨今の「このままでは日本は駄目になる」というコメント。
 このようになった原因もこのような状態の打開も今回のテーマにあると私は思っている。

 周囲を見回し同じことをしていれば安心し満足していた日本。今、それを卒業する時代なのだと思う。
 

 
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