2007-08

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教科書はあくまで教科書にしかあらず

「教科書問題」なんていうのが時々浮上する。

これを教育のバイブルと一般的には考えるのだろう。
しかし、私には「参考書程度」である。

考えてみればわかる。
全ては実は「本当なのか」という疑問から出発する
ことなのだ。

例えば1+1=2

こいつを疑ってかかることはとても大切なことなのだ。

まあ、このように疑ってばかりいると現存の社会に
なかなか対応できないことにはなるが、
そういう人材の輩出は一方で大変重要なことなのである。

そもそも先生は何のためにいるのか?
ということにも帰結する。

私は生徒に先生の考えを押し付ける必要はないが、
先生の考えを大いに示していいと思う。
それが「人」が先生であることの所以である。

相変わらず偏差値教育がされている。
既存の社会にスムーズに乗っかる人間を作るためだ、と
私は思う。

ともかく親はもっともっと賢くなるべきだ。
力強く生きるための知恵を子供に付けさせるべきだ。

教科書や学校はこのためのあくまで一部だ。



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固定概念にとらわれている

学校教育。
ロシアでは小、中、高と同じクラスだという。
私は高校の3年間が同じクラスだった。

韓国では先生に挨拶しないことなんて考えられない
という。

教育に関して世界に目を向ければ、日本は
あまりに固定概念にとらわれているのではないか。

これまで日本において所謂高い水準の教育を
してこれたのは、6、3、3の教育制度なのだろうか?
実はぜんぜん違うのではないだろうか。
バックアップする先生や家族の情熱があったから
ではないだろうか。

今、この「高い水準」についても何をもって
いうのか考えなければならない。

さて、毎年クラスが変わるメリットとして
「いろんな人と出会うことができる」という
意見があった。
それも、そのとおりではある。
ただ、ずーっと同じクラスということは、
皆で仲良く協力しなければやっていけないと
いう協調力を養う面も多いにあると思う。
どちらを選択するかは学校次第だし、どちらを
選択しようと基本理念がしっかりしていなければ
うまくはいかないだろう。

いずれにせよ今の日本は過去の産物を
忘れるところに来ていると思う。

テーマ:教育 - ジャンル:学校・教育

基本は家族だ

毎日食卓を家族で共にする。
これが社会の基本である。

さて、今の日本はどうだろうか。
戦後の復興のため家庭を犠牲にしてきた方も少なくない。
その結果、経済的に先進国には追いついた。

しかし、一方で家族はどうなっているだろうか?
勤勉が美徳の日本は、最も大切なものを平気で
犠牲にしていないか?

日本の今の繁栄は、長い目で見ると
一過性のものでしかないのではないか、という
気がしてならない。

何が悪いと言う前に、まず家族を振り返るべきだ。
そして、国は家族をしっかりサポートしていかなければ
ならない。




テーマ:美しい国へ - ジャンル:政治・経済

安部退陣の風潮はおかしい

安部首相を擁護するわけではない。

そもそも国民投票で選んだわけでもないので、安部であろうが
誰であろうが関係ないのである。

そこに関係性を持たせようとするマスコミ、世間のやり方が
おかしいのである。

それは、何かに押し付けておけばいいという体質だ。

今回の選挙は自民党の大敗なのだ。
そのことを自民党はわかっていない。
安部がいけないという。

安部が継投したっていい。問題は安部がどのように変わって
いくかだ。

繰り返す。
責任の所在を安部に押し付ける体質がおかしいのである。
安部は国民が選んだ人ではない。

極端な話、党外へ安部辞任を自民党自身が言うならば、
それは自民党自身が自ら辞任することと同等なのだ。
このことがわかっていない自民党議員が多すぎる。
少なくともしっかり後継者くらい提示してからにしてほしい。

テーマ:安倍晋三 - ジャンル:政治・経済

自然にマッチした国づくりを

中越沖地震ではっきりわかった。
地震国日本においては核発電は撤廃すべきである。
理由は明快。
どのように対策を打っても放射能漏れを防ぐ
ことはできないからだ。自然は人の想像を上回る
という前提に立ってのことである。

島国日本。
この国にしかない自然環境がある。
それにマッチしない開発は今後絶対にしてはならない。

悪戯に海を埋め立てて高層ビルを立てている。
専門家は「全てを想定している」というだろう。
しかし、実際に事が起きた時は
「想定範囲外だった」という。

お金に目の眩んだ人種を如何に相手にしないか。
これが賢い市民、国民である。

では、そのように自然とマッチしていくべきか。
そのへんを想像力もって考えられるかどうかが
問題だ。これを考えられるようにするのが
教育である。

国とはなんだろう?

日航機が御巣鷹山に墜落して22年になる。
この遺品を日航が展示していくことに決まったようだ。
それまでは、処分する方向だったが、遺族の反対に
押されたようだ。そのような記事をところ
どころでこれまで見て来た。

さて、一体国はどういう対応をしているのだろうか。

この事件、単に一民間企業と市民の問題ではないはずだ。
このような全国で共有しなければならないことは、
国を上げてやらなければならないと私は思う。

二度と同じ過ちを繰り返さないよう、国が遺品を管理
し展示するように動くべきなのだ。
そういう国であるべきだ。

戦争にしても公害にしても、国の行動は私の感覚と
一線を画する。
広島、長崎の件を何故、広島市や長崎市に委ねるのか
理解に苦しむ。あの原爆ドームが維持できるのは
広島市や市民によるものであって、国ではないのだ。
おかしい。

国は常に弱者にどう配慮するかだと思う。
そういう見地に立った人が議員になるべきだ。
しかし、どうだろうか。
有権者の票をとるためのことばかりだ。
有権者も悪いが。自分が自分がだから。
不当なことを強いられている弱者を如何になくすか、
自然環境を如何に維持するか、
不合理な利益の集中を如何になくすか、
以上が政治を仕事にしている人間の務めであると私は思う。

テーマ:政治 - ジャンル:政治・経済

毎年この時期に思う

昭和20年、原爆が投下され、終戦を迎えた。

あれだけの惨事を経験しながら、いまだ兵器を
持ち、戦争の可能性を残している日本。
自衛だろうが、兵器によりお互いに殺傷する
以上「戦争」以外の何ものでもない。

兵器を持たずに他国と対話でお互いの平和に
進んでいけないのか。

人間はなんて愚かなのだろうか。

子供の頃時々考えた。宇宙から敵でもくれば
皆一致団結するのだろう、と。
今、この敵は「自然環境」かもしれない。


教育の改革

日本の教育は改革しないとならない。

今更言うまでもないが、これだけ英語に時間を割いていても英語を使えない。
そして、そのことをわかっていながら、いつまでたっても同じ方法で教育
している。

そもそも。
国の関係機関に携わる人間の発想では、改革が難しい。

もう、偏差値主義はやめようではないか。
あるところで、相対評価なんてやめたら、といったら「それでは子供の
競争意欲がなくなる」っていう意見をもらってしまった。

競争するならもっと人と違うことをやるところで競争するべきだと
私は思う。

どうして全国金太郎飴にしなければならないのだろうか。

世界で数学力が低いとか時々騒がれたりする。
そんなのほっとけ、と思う。
この数学力が落ちると、数学がとてもできる人がいなくなるのか?
そうなら少し考えてもいいのだろうが。

義務教育は小学校6年までにする。
成人になるためには、成人試験を必ず受けること。
受けることが義務。点数は自己採点でいい。
少なくとも自分の責任のもと、試験を受けたことで
何が自分に足りないかが把握できるはずだ。

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