2017-08

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五輪エンブレム問題

 本件で大きな問題の一つはオリンピック組織委員会の対応である。

 ベルギー劇場のロゴマーク作者から盗用の疑いが指摘され、一番最初に公表したのは「法的に問題ない。登録されている著作権に引っかからないかどうか確認済みである」とのことだった。それ以上のことを調べようとか公表しようとかそういう姿勢が一切ない。

 この最初の公表以降もネット上では作成者の別件での盗用が指摘され、数週間後には明らかな盗用(サントリートートバックの件)が発覚し、作成者は非を認めた。この時点で作成者への信頼は大きく損なわれた。同時にベルギー劇場側も正式にIOCを提訴した。オリンピック組織委員会は「何故提訴した」とベルギー劇場側を非難、所謂逆切れ状態だ。作成者の信頼性が日々崩れている時にである。

 このようなことが起きた場合、一般的にその潔白を示すならば、次の件をはっきり説明すべきである。
・作成者本人からの作成に関わる工程(方法や方針などもろもろ)の説明
・作成者を選択した審査員からの審査過程(基準、審査工程)の説明
・審査員を選択した組織(オリンピック組織委員会)からの審査員選定の過程に関する説明

しかし、以上のことがほとんどなされていない。
1点目については若干の説明があったが、詳細に説明されているとは言いがたい。2.3点目については皆無である。そのためか、ネット上にはこれらを推測する情報が入り乱れる。単なる憶測ではなく、それなりに業界に近い人や内情を知る人が情報のソースになっていると思われる。偽りを出せば名誉毀損、損害賠償を請求されることにもなるわけで、裏をとるための参考情報にはなるだろう。ものによっては科学的に盗用の根拠を証明しているケースもある。

 新国立競技場問題で後手後手だったオリンピック組織委員会であるが、その過ちを反省しているとは思えない。もはや後手後手は体質的でありどうしようもないレベルなのかもしれない。これを投稿する時点で、エンブレムの採否に関わる責任者が見えてこないのだ。五輪エンブレム作成者が世間に疑われメディアで日々扱われているのは仕方がないことだと思うが、オリンピック組織委員会は「法的に問題ない」だけでそのコメントを終わっているところは極めて無責任であると思う。すでに責任の逃れの回路がそこいらじゅうに働いていると想像する。

 あとは「デザイン」に関する考え方である。この疑惑の後、日本のクリエーターと言われる人達から作成者を擁護する声も出てきた。「シンプルなデザインだし似ることもある」と。
 そうだろうか。似るというのはもちろんわかる。しかし、それは模倣の割合が高いか、個性がないゆえの結果のことではないか。例えば自動車のロゴはどうだ。ホンダなんかHだけだ。しかし個性的でインパクトがあり、他のHとは違う。

 本物のクリエートとは魂の注入だと思う。世界の人口数十億人の中で同じ顔の人はいない。似ているケースは沢山あるが、それでもどこかに「個性」があり、それを見いだすのが人なのだ。

 2020東京五輪のエンブレムにそういう個性があるのか。審査員はそのへんをどのように見いだしたのか。本当に見いだしたのか。

 2020東京五輪の問題はなにか。「密室性」「欺瞞」「見栄」である。こうしたことを改善せずに「国民の理解」「国民の賛同」「訪れる方のおもてなし」を国民に求めるのはあまりに浅はかという他ない。

 開催は決まり撤回の可能性はまずない。反対してきた人も何割かは協力に向かうのだ。ネット時代、オープンに明るく責任を明確に誇りをもってオリンピック準備を進めていこう。準備段階の失敗、真面目にやっての失敗なら仕方ない。取り返せばいい。失敗しないように不正、腐心を働けば、最後に必ずしっぺがえしが来る。


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日本の大手マスコミの戦争報道

 ここではテロに対する報復爆撃も戦争と見なします。

 IS国(自称:イスラム国)で日本のフリージャーナリスト後藤氏がIS国テロリストによって先日殺害された。後藤氏がIS国を取材する大きな動機は罪のない子どもたちが戦争に巻き込まれていることを世界や日本に訴えたいということである。

 後藤氏が亡くなった直後は某氏のこの志や取り組み事項がテレビや新聞で紹介された。しかし、この報道は何のためのものだったのか、時間が過ぎるに従いその疑念は大きくなる。単に後藤氏の死を美談にするだけのもだったのか。そう思わざるおえないのである。

 後藤氏の死後数週間後のテレビおよび新聞でのニュース。エジプトが報復のためにイスラム国を空爆したというもの。どこをいつどのような規模で空爆したのかということが盛んに記事になる。だが、そこにその空爆が一般市民にどのような影響を与えているのかという内容がない。戦争をしないと憲法で宣言している日本にとって最も重要な関心ごとは世界で起きている戦争が罪のない人々にどのような影響を与えているかということではないだろうか。そして、もし与えているならば、いかなる理由があったとしてもその殺傷の行いを停止するよう、働きかけていくことが日本の世界における使命ではないだろうか。

 しかし、日本のマスコミの戦争報道は戦争の残忍さを全くといっていいほど伝えず、淡々とまるで戦争が正当な手段であるかのように視聴者に見せているのである。これは舞台に似ている。舞台で演技をしている人の後ろに大道具さんがつくった背景がある。立派な建物であったり美しい山々であったりする。実際、その背景は1枚の板であり、裏は何本もの木で支えられている。舞台で観客の目にはけして見えてこない部分であるが、こうした目に見えない苦労と支えがあって舞台は成立するのである。

 戦争は舞台なのか。そうであってはならないのである。しっかり舞台裏も報道するべきなのである。


 

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