地球温暖化にはビジョンが必要
現実に進捗する地球温暖化。
「二酸化炭素何パーセント削減」
というような目標が国や会社やその他セクションで
掲げられている。
私にはどうもこれらの取り組みに
いまひとつ何かが欠けているようでならない、
と感じる。
他国のことはさておき日本に関して。
世界に対して外面を良くしようとする日本を
感じる。
環境技術でPRするという。技術立国日本
だった?から成り行き上、不思議は無いが。
しかし、今、自然から日本が世界が本当に
求められて
いるものは「削減技術」ではないと思う。
もっともっと根本的なことが求められていると
思う。
人間が欲を満足すべく開発が進んだ結果が
今なのである。このことを避けていて、削減
削減と叫んでいることは全体的な削減に繋がら
ないと考える。
いまだ、2次産業の売り上げ減を問題視して
いる。トヨタが売り上げ世界上位として
賞賛される時代は終わったと考えるべきだ。
一方で削減しながら一方で二酸化炭素をバラまく
事業が展開されている。
技術を持った国が世界を開発し、その代償として
地球環境が破壊された。
そして、開発は貧富の格差を生んだ。
今、世界はあるポリシーのもとに開発を進める
ことをしなければならない。
ここでいう開発とは従来イメージする土木や建設
ではない。
世界の貧富差をなくし地球環境をもとに戻すための
開発だ。
所謂、地球環境を破壊してきた先進国は、「開発」
の転換を図らなければならない。
そこを考えずして何がサミットだ。地球温暖化だ。
先進国だ。
削減技術を開発したって、一方で道路や住宅地を
つくるため木々を伐採していては何もならない。
交通や流通。その便利さを求めれば歯止めはない
だろう。
いろんなことが短縮された。
しかし、暮らす人の幸福感は増しただろうか。
増すどころか、減ってさえいるのではないか。
私にも何をどうしたらいいか明快なものは
いまのところない。
ただ、日本が自然環境において世界のリーダー
にならんとするならば、単に削減技術のみでなく、
開発のあり方について示していかなくては
ならないと思う。
一人当り二酸化炭素排出量を世界の上位にしな
くてはならない。今の状況では、ちゃんちゃら
おかしい実態である。
参考
http://www.jccca.org/index.php
「二酸化炭素何パーセント削減」
というような目標が国や会社やその他セクションで
掲げられている。
私にはどうもこれらの取り組みに
いまひとつ何かが欠けているようでならない、
と感じる。
他国のことはさておき日本に関して。
世界に対して外面を良くしようとする日本を
感じる。
環境技術でPRするという。技術立国日本
だった?から成り行き上、不思議は無いが。
しかし、今、自然から日本が世界が本当に
求められて
いるものは「削減技術」ではないと思う。
もっともっと根本的なことが求められていると
思う。
人間が欲を満足すべく開発が進んだ結果が
今なのである。このことを避けていて、削減
削減と叫んでいることは全体的な削減に繋がら
ないと考える。
いまだ、2次産業の売り上げ減を問題視して
いる。トヨタが売り上げ世界上位として
賞賛される時代は終わったと考えるべきだ。
一方で削減しながら一方で二酸化炭素をバラまく
事業が展開されている。
技術を持った国が世界を開発し、その代償として
地球環境が破壊された。
そして、開発は貧富の格差を生んだ。
今、世界はあるポリシーのもとに開発を進める
ことをしなければならない。
ここでいう開発とは従来イメージする土木や建設
ではない。
世界の貧富差をなくし地球環境をもとに戻すための
開発だ。
所謂、地球環境を破壊してきた先進国は、「開発」
の転換を図らなければならない。
そこを考えずして何がサミットだ。地球温暖化だ。
先進国だ。
削減技術を開発したって、一方で道路や住宅地を
つくるため木々を伐採していては何もならない。
交通や流通。その便利さを求めれば歯止めはない
だろう。
いろんなことが短縮された。
しかし、暮らす人の幸福感は増しただろうか。
増すどころか、減ってさえいるのではないか。
私にも何をどうしたらいいか明快なものは
いまのところない。
ただ、日本が自然環境において世界のリーダー
にならんとするならば、単に削減技術のみでなく、
開発のあり方について示していかなくては
ならないと思う。
一人当り二酸化炭素排出量を世界の上位にしな
くてはならない。今の状況では、ちゃんちゃら
おかしい実態である。
参考
http://www.jccca.org/index.php
人
人を「人」とは本当に漢字は良く描いたものだ。
支え合うという事。
人は自分以外の誰かに支えられ、また、誰かの支え
になっていたいと思うものだろう。
あたりまえのことだと思うが改めてそう思う。
昨今、様々な奇異な事件が起きている。
その根本的な要因にこのどちらかの
支えを失ったところが
あるのではないだろうか。
支え合うという事。
人は自分以外の誰かに支えられ、また、誰かの支え
になっていたいと思うものだろう。
あたりまえのことだと思うが改めてそう思う。
昨今、様々な奇異な事件が起きている。
その根本的な要因にこのどちらかの
支えを失ったところが
あるのではないだろうか。
知識なんかくそくらえ
どんなに物知りな人でさえも、世の中知らないことのほうが
多いのである。
知識があることは良いことばかりではない。
あることによってかえって物事を間違った方向に導いている
ことも少なくない。
知識をつけるな、ということではない。
知識をつけても謙虚さを失ったら駄目になってしまうと
いうことである。
1+1=2
という知識を持ちつつ、
1+1は本当に2なのだろうか?
という疑問を持つことが大切だ。
アメリカの大統領の名前を知っていることよりも
アメリカを肌で感じていることのほうが大切だ。
多いのである。
知識があることは良いことばかりではない。
あることによってかえって物事を間違った方向に導いている
ことも少なくない。
知識をつけるな、ということではない。
知識をつけても謙虚さを失ったら駄目になってしまうと
いうことである。
1+1=2
という知識を持ちつつ、
1+1は本当に2なのだろうか?
という疑問を持つことが大切だ。
アメリカの大統領の名前を知っていることよりも
アメリカを肌で感じていることのほうが大切だ。
信じられないエベレスト登頂
中国がオリンピックの聖火をエベレストの頂上に
持っていくことをイベントとしてやるという。
一体何を考えているのだろう。
相当のお金と人を使って達成に向かうのだろう。
自然まで使うことができると思っているのだろうか。
オリンピックは安全な場所で選手が人間として
持っている運動能力を純粋に競うところが魅力だ。
ところがそれを忘れ、このような危険をおかすイベ
ントに走る。
イベントが奇抜であればあるほど心配である。
安全とか公平さとかの根本的なところがなって
いないのではないかと勝手に危惧する。
オリンピックとは
持っていくことをイベントとしてやるという。
一体何を考えているのだろう。
相当のお金と人を使って達成に向かうのだろう。
自然まで使うことができると思っているのだろうか。
オリンピックは安全な場所で選手が人間として
持っている運動能力を純粋に競うところが魅力だ。
ところがそれを忘れ、このような危険をおかすイベ
ントに走る。
イベントが奇抜であればあるほど心配である。
安全とか公平さとかの根本的なところがなって
いないのではないかと勝手に危惧する。
オリンピックとは
日本の誇り
事故を起こしたイージス艦の艦長の
記者会見でのコメントをTVで聞いた。
「私に責任があると思います」
「思います」。
ここに日本が失ってきたものが
集約されているようでならない。
艦長は海にただ一つ浮かぶ船の最高
責任者だ。サッカーの監督が敗戦の
コメントでこのように結ぶだろうか?
重箱のすみをつつくと思われるだろう。
しかし、こうしたところに本人の
真意が現れる。新聞では「思います」
は記載されていなかったが。
日本の誇りは
「正々堂々」
だと私は思う。
言葉の解釈論をするつもりはない。
常に中身で勝負。
結果を率直に受け止め潔く負けを
認める。
ところが、昨今はこの正々堂々に
めったにお目にかからない。
目先の結果を出さんがための
行動がまかり通っている。
言い訳も多い。
技術の日本と言われてきた。
その根幹は正々堂々だと
思う。
私たちは
正々堂々を見抜けなければならない。
周囲の雰囲気などに惑わされたり
流されたりして本質的に大事な
事や人を失ってはならない。
政治に今求められているものも
同様だと思う。
正々堂々と行動する者が
それを持続できるようでなければ
ならない。本来、そのような環境
になっていくことが大切である。
家族の父が家族に何かあった場合
「私の責任です」などとそもそも
コメントしないだろう。父=責任
なのだから。
そういう意味で、組織の長たるもの
責任に対する自覚があまりにもなさ
すぎる人が多いと感じる。
そもそも「責任あるか、ないか」と
やっている時点で、その人には大し
た役割がなかったということなので
ある。
もちろん正々堂々は生半可なものか
らは生まれない。
記者会見でのコメントをTVで聞いた。
「私に責任があると思います」
「思います」。
ここに日本が失ってきたものが
集約されているようでならない。
艦長は海にただ一つ浮かぶ船の最高
責任者だ。サッカーの監督が敗戦の
コメントでこのように結ぶだろうか?
重箱のすみをつつくと思われるだろう。
しかし、こうしたところに本人の
真意が現れる。新聞では「思います」
は記載されていなかったが。
日本の誇りは
「正々堂々」
だと私は思う。
言葉の解釈論をするつもりはない。
常に中身で勝負。
結果を率直に受け止め潔く負けを
認める。
ところが、昨今はこの正々堂々に
めったにお目にかからない。
目先の結果を出さんがための
行動がまかり通っている。
言い訳も多い。
技術の日本と言われてきた。
その根幹は正々堂々だと
思う。
私たちは
正々堂々を見抜けなければならない。
周囲の雰囲気などに惑わされたり
流されたりして本質的に大事な
事や人を失ってはならない。
政治に今求められているものも
同様だと思う。
正々堂々と行動する者が
それを持続できるようでなければ
ならない。本来、そのような環境
になっていくことが大切である。
家族の父が家族に何かあった場合
「私の責任です」などとそもそも
コメントしないだろう。父=責任
なのだから。
そういう意味で、組織の長たるもの
責任に対する自覚があまりにもなさ
すぎる人が多いと感じる。
そもそも「責任あるか、ないか」と
やっている時点で、その人には大し
た役割がなかったということなので
ある。
もちろん正々堂々は生半可なものか
らは生まれない。


